神戸ルミナリエ2009 東遊園地

神戸ルミナリエ2009東遊園地:2009年12月3日撮影
平成7年1月17日 5時46分
【2009年12月3日 撮影 東遊園地】

像が建ったのは1976年です。

銘によると、
あの日、像が倒れて時計が壊れ、
震災の記憶を永遠に留める為、
あの時を示し続けているそうです。

平成7年1月17日 5時46分

神戸ルミナリエは、今年で15回目…
震災から15年、と言う訳で、当時の話を少し。

神戸ルミナリエ2009東遊園地:2009年12月3日撮影

何かの手続で1995年2月頃、市役所に行きました。
東遊園地の前も通りましたが、像が倒れている事には気付きませんでした。
他にも色々と倒れた物を見過ぎて、記憶に留まらなかっただけかもしれませんが…

エレベーターは動かず、階段を利用しました。

神戸ルミナリエ2009東遊園地:2009年12月3日撮影
【2009年12月3日 撮影 東遊園地】

市役所1号館(背が高い庁舎)の階段も避難してきた人達でいっぱいでした。
毛布に包まって、皆一様に疲れきった目をしていました。
(マニアックな例でアレですが、アニメ「北斗の拳」の初代オープニングの難民の表情そっくり)

神戸ルミナリエ2009東遊園地:2009年12月3日撮影

避難所の匂いは何処も同じで、
ルミナリエの灯を見る度に、あの匂いを思い出します。

条件反射。

学校も、区役所も市役所も、公民館的な所でも、
何故か同じ匂いでした。
多分、一生忘れられない匂いです。

ルミナリエの灯を見る度に、震災の追悼行事を見る度に、
毎年、毎回、あの匂いを思い出します。

神戸ルミナリエ2009東遊園地:2009年12月3日撮影
【2009年12月3日 撮影 東遊園地】

電気・ガス・水道・通信・交通・物流が壊滅。
あの日の明かりは、火事とヘッドライトと満月と懐中電灯。

神戸ルミナリエ2009東遊園地:2009年12月3日撮影

灘区に住んでいた親戚は、未明、倒壊した家から何とか脱出して近くの中学に避難。
避難した先の中学は、近所の火事が延焼して盛大に炎上。
そんな有様の中、避難してきた人々は、学校が燃える様子を見詰めていたそうです。
誰も火を消すことを思いつくことすらなく、ただ、ただ呆然と…
誰かがぽつっと「明るいなぁ…」と呟いたのが聞こえて、
「あぁそうや、明るいなぁ…」と思ったそうです。
放心。

神戸ルミナリエ2009東遊園地:2009年12月3日撮影

須磨区に住んでいた自分は、取敢えず状況の確認をしようと思い、
歩道に立って、山側に避難する渋滞の車列を見送っていました。
信号は全て消え、交通整理する人もなく、
車はどんどん浜側からやって来ては詰まっていました。
人と車は、浜側から山側へ。

神戸ルミナリエ2009東遊園地:2009年12月3日撮影

浜側では火災が多数発生して、遠目に見える建物も、
自分が立っている付近より損傷が激しいように見えました。

その時はまだ、跡形もなくなってしまった地域がある事を知りませんでした。
どこかのラジオが「大阪から神戸の火事が見えます」「震度6」「神戸は壊滅状態」
云々と、伝えていました。刻々と死傷者数が増え、かなり情報が錯綜していました。
「電車が動いてたら、取敢えず登校せなあかんのかな…」と思っていました。
被害状況を想像することも、想定することもできませんでした。

神戸ルミナリエ2009東遊園地:2009年12月3日撮影

流れない車のヘッドライトで道は明るく、クラクションが鳴り続けていました。
そこに混じる救急車のサイレンが、悲鳴のように聞こえました。
1度だけ、本物の悲鳴も混じっているのを聞きました。
病院まであと少しの上り坂の途中で、
救急隊員か、患者の家族(男性)が、救急車のマイクで
「救急車、通してください!行かして下さい!はよせな死んでまう!」
救急車のサイレンを聞く度に、何度も繰返されたあの声を思い出してしまいます。
患者さんが間に合ったかどうか、知るよしもありません。知る術もありません。

神戸ルミナリエ2009東遊園地:2009年12月3日撮影

歩道も、毛布や布団、コートなどに包まって避難する人でいっぱいでした。
スクーターのシートにお婆さん、前カゴに下の子、後ろの荷台に上の子を座らせ、
お父さんがハンドルを握って押して、お母さんが荷台の後ろを支えて押している一家もいました。

あの日の夜は、満月でした。

神戸ルミナリエ2009東遊園地:2009年12月3日撮影

浜側の火事から立ち上る無数の煙の柱が、青白い満月の光に照らされていました。

その柱の間を消防や報道のヘリが飛び交う様子や、倒壊した建物や地割れが、
はっきりと見えているのに、妙に現実感が乏しく遠い出来事のように見えました。
現に自分が立っている足元には地割れが走っているのに、他人事のような距離感が…

懐中電灯は、電池が勿体無いのでトイレに行く時等しか使わないようにしていました。
電気が復旧するまでの間、日が暮れて暗くなったら寝てました。

神戸ルミナリエ2009東遊園地:2009年12月3日撮影
【2009年12月3日 撮影 東遊園地】

現在の屋台の賑わいを見ると、しみじみと、平和だな…と思います。

あかるい、あったかい、適正価格。

無償の救援物資ではなく、ボッタクリ超価格でもない適正価格。

神戸ルミナリエ2009東遊園地:2009年12月3日撮影
【2009年12月3日 撮影 東遊園地】

救援物資の段ボール箱には時々手紙が入っていました。

とあるタオル製造会社から届いた救援物資は、箱いっぱいの「タオル」でした。
「不景気で在庫が余っています。倉庫代を払うのが苦しいので、これ以上置けません。
新品ですが、遠慮なくお使い下さい。お互い苦しいときですが、頑張りましょう。」
と言うような主旨の手紙が入っていました。

その時4〜5人で救援物資の仕分けをしていたのですが、全員泣きました。
いい年した男性も、微妙な年頃の女性も、当時高校生だった自分も、
色んな意味で涙が出ました。

神戸ルミナリエ2009東遊園地:2009年12月3日撮影

神戸ルミナリエの点灯式と、震災追悼行事では、
市立小学校の音楽教諭が作詞作曲した「しあわせ運べるように」を小学生が合唱。

自分は色々と思い出してしまうので、この歌をちゃんと聴けません。
同様の人は他にも大勢いるんじゃないかと…

気になる人は、各自、歌詞などを検索して下さい。

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